ある会社の昔話

京都のいなかに生まれた男の話です。

大きな庄屋の次男として生まれた彼は10歳にも満たないうちに資産家の家へ養子に出され、学問を志し京都市内に住むも遊興に浸った後起業しようとするも失敗、資産のほとんどを使い果たし田舎へすごすごと戻ってきました。

故郷にもどってきた彼は小学校の先生として働き出したのですが、子どもたちの様子がおかしいことに気づきます。

  • 生徒が授業中に居眠りばかりすること
  • 居眠りする子どもたちの親は養蚕業に従事していること
  • 子どもたちは家業の手伝いを夜遅くまでしていること
  • しかし京都の養蚕による糸の評判は「品質が悪い」であること

子供たちにしっかりと教育を受けさせるには、まず地場産業の養蚕、養糸業をしっかりとさせることで地域を豊かにすることが大事と考えた彼は、有力者の推薦もあり蚕糸業組合の組合長に就任し3つの重点事項に取り組みはじめます。

  1. 群馬県や福島県といった養蚕先進地域の技術を習得すること
  2. 養蚕伝習所という学校をつくり、その終了者を教師として養蚕家を巡回させて指導すること
  3. 小さな製糸家が作った生糸を集めて共同販売できる場所を作ること

そうして活動をしていく中で彼は1株20円を分割で1円、2円と彼が集金してまわることで同じ地域の養蚕業を営む家から98,000円を集め資本金とし、株式会社を設立します。

会社で働く工女は地域の養蚕家の娘がほとんどであり、「自分の娘と同じように大切に扱い、立派な人間に育てる」の方針のもと、寄宿舎にはたくさんの教室がつくられ、人間形成の場として生かされます。

「人間尊重と優良品の生産を基礎として、会社をめぐるすべての関係者との共存共栄をはかる」という企業理念はここから始まります。

その中の一つの話

養蚕家、製糸家、織物業者の関係なんですが。

  • 養蚕家は繭をつくります。
  • 製糸家は養蚕家から繭を買い糸を作ります。
  • 織物業者は製糸家から糸を買い、織物を作ります。

昔はこの「繭を製糸家が買う」というところで力関係が生まれ、強い製糸家が養蚕家に対して一方的に値段や購入量を決めるという不平等があったそうです。それに対してこの会社は共存共栄をはかる目的として「正量取引」というものを取り入れます。

それは「品質を評価し、品質に見合った金額で取引を行う」というもの。

  • 養蚕家が良い繭を作る
  • 製糸家は良い繭を買い取り良い糸を作る
  • 織物業者は製糸家から良い糸を買い、良い織物を作る
  • 良い織物は高く売れる

ここには「誰が得をして誰が損をする」という仕組みがありません。言うなれば「Win-Win‐Win」が成り立つという創業者の思いがこもっているそうです。「買って喜び、売って喜ぶようにせよ」と。

さて、そんな京都の田舎にあった会社。

その後その会社は太平洋戦争の後に肌着、パンティーストッキング、ナイロンミシン糸などへ事業を進出。高度成長期にはプラスチック部門としてフイルムや高機能素材の開発、体内で分解吸収される手術用吸収性縫合糸の事業化などにも広がっていきます。

今では製造業のみではなく、スポーツクラブの運営なども行い、「遊・休・知」をテーマにした豊かな生活文化の創造を目指し、サービス事業にも参入したそうです。

 

その京都のとある田舎町。創業者波多野鶴吉が現在の綾部市、当時の京都府何鹿郡(いかるがぐん)を養蚕を通じて振興させたい、その思いを「郡を是(正しい方針にすすめる)する」という言葉に託して会社名を考えたそうで

郡是株式会社(現在のグンゼ株式会社)

と名づけたそうです。

 

いい話だと思いませんか?僕は大好きなんです。会社が人を育てる、とかね。